2011/03/13

帰宅困難

報道されているように、歩いて帰った一人です。
会社を出るときにわかっていたことは、
東北を中心に大地震があった。
巨大津波がきている。
首都圏の電車が止まっている。
これだけでした。

地震の後、家族や親類の誰にも連絡がつかず、それでも高田馬場界隈があまり崩れてもいないようなので、定時の5時半まで会社にいて、目白に様子を見に行きました。
さすがに閉めてましたが、電気がついていたので中に入ると、先生がいたので、少し話をしてから、まわりを見ましたが、ほぼ無傷でした。ただ素焼き中だったみたいですね。

それからトコトコ歩いて江戸川区平井まで、3時間ちょっと。
たまに歩くので、不安も何もありません。
人が多いから、いつもより時間がかかるかなぁ程度。
ただ、隅田川だけが渡れるか不安でした。
長旅になるのでトイレに寄ろうと目白駅に行きましたが、シャッターが。
仕方ないのでそのまま歩きました。
目白通りの練馬方面は大渋滞で、ほとんど動いていません。
バスも渋滞で進まないのに、バス停には長蛇の列が。歩いた方が早いのに。
学習院を過ぎると目白警察署があるので、そのトイレを拝借。
道を尋ねる人にも、丁寧に教えていました。
すごく親切で、あったかい感じです。
江戸川橋、東京ドーム、上野か御徒町、駒形橋か厩橋、スカイツリー、小村井を通り家に向かいます。
途中、犬の散歩してる人がいたり、人気のラーメン屋に行列ができてたり、飲み屋が満員だったり、コンビニのレジも行列だったり、カプセルホテルにも行列が。
なんか現実的じゃなく、緊張感もない感じです。
並ぶことを楽しんでいるような感じさえしました。
自分も、誰かに連絡さえとれたら、どこかの店に入っていたかもしれません。
おそらく、会社を出ずに泊まっていたと思います。
もしかしたら、家が崩れてやしないか、燃えていないか、その一心で歩きました。
そんな気持ちも、こんな様子を見たら、家も大丈夫なんじゃないかなぁ、と思ったりもしました。
でも、そんな楽天的な考えはすぐに吹き飛びました。
隅田川に近づいたとき、赤いランプがたくさん回っていて、もしかしたら渡れない?と思ったんですが、車が普通に通っていたので、そのまま橋を渡ろうとすると、ホームレスが橋の下を見ていて、なんだろうと見てみると、
津波で逆流して、巨大な屋形船が3つも流されていて、そのまま橋桁に激突しました。
自分が立っている真下の橋桁に。
あわてて墨田区側に渡りました。
それで、急に不安感がまして、急いで帰りました。

家がきちんとあって、電気が灯っているのを見て、どんたけ安心したか。
あまり仲の良くない弟が寝転がってテレビを見ている姿を見て、どんだけ落ち着いたか。

翌朝、電車が動いたので会社に来たら、昨日の夜に会社を車で出た人たちが、高田馬場から池袋まで3時間以上かかったと言ってました。
千葉は10時間だそうです。
歩けるなら、歩く方がマシですね。
でも、直下型だったら、歩いても帰れないでしょうね。
連絡がついたのなら、動かない方が良いかもしれませんね。

地震の翌日には、店からカップラーメンとパンが姿を消しました。
ガソリンも底をつきそうです。
もしかしたら、電気も。

いろんなことを考えさせられました。
まだ、これからなのかもしれません。

東京にいる自分は何もできません。
安否がわからない後輩の、無事を祈るだけです。


は。

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