2008/11/28

陶芸の神様

 先日、数ヶ月ぶりにゴルフの練習に行きました。 思うように打てなくなっていて、悲しくなりました。
さて、このゴルフを始めたばかりの頃、ドライバー(1W)が全く打てなくて、このままゴルフを続けていても、一生打てるようにならないんじゃないか、とさえ思ったほどでした。 ところが、ある時から打てるようになり、ドラコン賞(一番飛んだ人)を取ることもありました。
 一生できるようにならないのでは? という不安は、ゴルフ以外でも感じたことがありました。 そう!「ロクロ」です。 どうしようもなかったです・・・ゴルフ以上かもしれません。 陶芸を始めて1年経ったとき、そろそろ「ロクロ」をやってみませんか?と先生からすすめられ、ホイホイと喜んで座りました。 始めた頃は、まさに土に遊ばれている、という感じでした。 土上げ、土ころしを約1ヶ月続け、そろそろ出来るようになったかなぁ、と思った頃、「それではひいてみましょうか」 と先生に促され、チャレンジするけど、土に弄ばれ、「手つきが悪い!」などと言われながら続け、さらに1ヶ月過ぎた頃、なんとなく器の形になってきて、”やればできるじゃん!”と思い始めた頃、自分的には「湯のみ」を作ったつもりですが、冷静になって振り返ってみると、あのサイズでは、焼いたら「お猪口」になっていたかもしれませんね。 「ロクロ」でひいた時点では、会議などで出てくる、小さな「湯のみ」サイズでした。 自分では、普通のサイズの「湯のみ」だと思っているんですね。 それを見た先生が、そこまでは土遊び。 そこからどこまで上げられるか、どこまで薄く挽けるか、が陶芸です」と言われ、このあと合コンだったのに、さらに「ロクロ」に座り続けてしまいました。
 そんなことをしながら、「ロクロ」に向かい続けていたある日、土上げをしている時、どう説明したら良いのかわかりませんが、両手にすっと力が加わり、土がムニョニョニョニョ〜と上がっていきました。 えっ?? ナニこれ???
さらにしばらく経った頃、挽いている両手にまたも自然と力が加わり、みにょにょにょ〜〜〜っと、自分で作りたかった「普通サイズの湯のみ」になりました。
 このときのことを説明しろ、と言われてもできません。理屈やへったくれじゃないんです。 ”私の両手に陶芸の神様が降りてきた!”、としか言いようがありません。 他のことに例えると、自転車が近いでしょうか。 自転車に乗れるようになった時、どうして乗れるようになったのか、なんて誰も説明できませんよね? 全くそれと同じ感じです。 しばらく乗らないでいると、ぎこちなくなりますよね? でも、そのうち慣れて自然な感じになる。 「ロクロ」も同じで、しばらくやらないと、なぜか巧く挽けなくて、しばらくすると思い出すのか、勝手に体が反応して、むにょにょにょにょ〜〜と、上がっていきます。 でもゴルフは違うんです。しばらくクラブを握らないと、完全に忘れてしまったかのように、全く打てなくなります。 ポイントを思い出しながら、1から作り上げていくような感じです。 毎日練習していても、突然打てなくなったりします。 疲れだったり、心の乱れだったり、数㎜の誤差がスイングを狂わせ、どこに飛んでいくのかわからなくなります。 陶芸も、㎜単位でやっているのに、そこまでひどくはなりません。 ゴルフはメンタルなスポーツと言われることもあります。「ロクロ」も精神修行的な面があります。 相乗効果でうまくいくかと思ったけれど、そんなことはありませんでしたねぇ・・・・まだまだ修行が足りないなぁ・・・・・・

は。

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